大阪城と言えば桜の季節が有名なのだが、その時期は花見客でごった返していて落ち着かない。ただ、人の多さを見るだけでも価値はあるのかも知れない。壮観であることは間違いない。外国人も珍しくなく、元々在日の人たちは町を挙げてやって来て、朝鮮民謡で踊り唄いの宴会騒ぎだったのだが、近ごろでは東南アジア系の人や英会話教師と思われる白系の人たちまで、大阪の花見を楽しんでいる。
ところで、天守閣のすぐ下の石垣の上から眺める夕日は絶景である。絶景だったと言うべきか。この写真を撮った頃はまだ高層マンションはなく、夏の終わり頃にはすっきりとした夕焼けを楽しみながら、のんびりと日暮れの哀愁を味わうことができた。とにかくお城の周辺のどこからでも天守閣が見えるくらいだったから、お城からは大阪の町が一望できたのだ。

もう何年もこの場所から大阪の街を眺めたことがない。おそらくは数々の高層ビルが違う景色をつくりだしているのだろう。夕日は山の端ではなくビルの向こうに沈み、夕焼け空は小さくなって、さぞや大都会を感じさせてくれるに違いない。それはそれで絶景だと思う人もいるかも知れない。のぺっとした町並みよりも、大都会を証明するがごとくの高層ビル群を望めるほうが、より素晴らしい思う人は、きっと多いのだろう。大阪城の周辺には、ロケーションがいいこともあって高層ビル群が建ち並んでしまった。いまではお城の天守閣は、ビルの谷間に埋もれてしまい、何の威厳もないちっぽけな建造物に成り果ててしまったようだ。寂しい限りである。

【後記】
この第四弾は、私の遺産的写真で成り立っている。と言うのは、写真が好きでちょっといいカメラを買ったせいもあって、足を運んだ先々で、ちょこちょこ写真を撮っていた。何に使うと言う目的はなかった。それから何年も経って見てみると、中にはけっこう面白いものあったりした。写真に残した場所は大きく変わっていて、建物が無くなったり、周辺が変わったためにかつての風景が失われてしまったりで、たまたま撮った写真なのにそれなりの価値が出てきたような思いだった。

この頃、西成で大規模な暴動があった。平静を取り戻してから行ってみると、上の写真のような光景が所々に残されていた。さすがに暴動のニュースがテレビで流れた時、カメラを持って行くほどの勇気はなかった。行ったとしても夜のことだし、たいした写真は撮れなかっただろう。この第四弾の写真は、そんな思い出のある写真なのだ。ただ、ピントが甘いなど写真そのものが悪い上、当時のスキャニングも悪かったため、写真の画質が難点だ。とは言え、再度スキャニングするのも面倒なので、そのままのデータを少し触って使っている。

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