咲いている桜を誰もが撮影する。日一日と空は明るさを増し、日も長くなってくる。やっと春が来たのだ。その高揚感に背中を後押しされるかのように、桜の木の下でカメラを構えるのだ。私もそんな一人だった。空は青く晴れ渡り、桜並木はほのかな桃色を空中に滲ませて、早咲きの桜の木には色鮮やかな若葉も出始めている。レンズを駆使して広角から望遠まで、あるいはマクロレンズまでも使ってみる。

ところが出来上がった写真を見て愕然とする。空は青くなく灰色だ。桜の花も白っぽい。全体にぼけているような感じがする。都会の空気の悪さが桜の向こうの空を青灰色にくすませていたのだ。それにソメイヨシノは目で見るよりも白いことにも気付く。撮影する前に描いたイメージとはほど遠い写真になっていた。 そんなこともあって、咲いている桜を撮るよりも散った桜を撮ることが多くなった。

桜は散った後でも美しい。花びらは咲いている時よりも色が濃くなったようにも思える。芽吹いた若葉とのコントラストも、春のやさしい息吹を感じさせてくれる。そして桜の散る頃は、花冷えも終わって、待っていた暖かな日々が始まる。

【後記】
無国籍というかジャンクな感じが好きなので、どうしてもゴミゴミとしたところに目が向いてしまう。昭和的風景が好きなのも、雑多な感じがいかにも人間らしくていいのだろう。デザイナーという職業で、計算された無駄のない美しさを追い求めているにもかかわらず、町や建物への指向はまるで逆で、取り残された感や錆び付いた感に惹かれてしまうのだ。人は確実に歳を取る。暮らしも町も同様だが、老朽化し、忘れ去られようとしているものにも美しさはあるように思う。

それからアジア地域を中心に日本に出稼ぎに来ている人々のバイタリティーも好きだ。町歩きで散策していると、大阪の繁華街やその周辺地域は恐ろしい勢いでアジア化していることが分かる。中でもハングル文字の露出はたいへんなもので、島之内から日本橋にかけては韓国人、中国人を中心としたアジア系外国人に占拠されつつあるように思える。それは日本の危機、大阪の危機なんかではない。多様な文化が集積し、そこから新しいチカラが生まれてくる。言うまでもなく歴史が証明していることだ。Everyone Well Come to OSAKA!

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