ソーメンにおける、バリの生命維持装置的考察

私は友人とカルティカプラザ通りを南に向かって歩いていた。強烈な午後の陽射しを浴びながら二人ともヘロヘロになっていた。私たちは朝サンドイッチを口にしただけで、それからは何一つ口にしていなかったし、長い間置き去りにされた筋肉は、わずか3時間の町歩きにも耐えられないでいた。落ちた肩、たるんだ腰を支える重い足、リゾート地のメインストリートにはまるで不似合いな姿を晒していた。そんなさえない男たちにも物売りは近づいてくる。銀のアクセサリー、腕時計、木彫りのガルーダ…。人を見る目がないのか、観光客へのただの条件反射なのか、とても本気で売りたがっているとは思えなかった。

まとわりつく物売りを追っ払うその手の先に、漢字で書かれたのぼりが旗めいていた。「あれは何だ」。私は友人の肩を小突いてのぼりの方を指差した。のぼりには「お食事処・潮騒」と書かれていた。和食屋ではないか。すると「ソーメン、食いたいな」と額の汗をぬぐいながら友人がつぶやいた。物売りは二人に増え、品物を鼻先に押し付けるように迫ってくるが、私と友人の目には潮騒ののぼりに釘付けになっていた。「ソーメン、いいね!」と私は応え、ごくん、とつばを飲み込んだ。少しカラダにチカラが湧いてきたように思えた。

お食事処・潮騒はホテルの敷地内にあった。カルティカプラザ・ホテルだ。のぼりの立ち並ぶ階段を這うように上って、店の前までたどり着いた。ガラスのドア越しに店の中を覗いたが、客どころか店員らしき姿も見えない。「やってないみたいだ」。友人が沈んだ声で言った。せっかく湧いてきたチカラが急速にしぼんでいくのが分かった。それでもあきらめ切れずドアを押すと、すんなりと開くではないか。するとついたての向こう側から和服姿のバリ女が現れた。「イラシャイマセ!」。 通りが見える窓側の席に着くなり、「ソーメン2つ!」と声をかけた。二人とも取り憑かれたようにソーメンを求めていた。

氷水につかったシャキシャキの麺とかつお出しの効いた麺つゆ、そして生姜の薬味。もうじき味わうことができるのだ。しかし、「ソーメン2つ」は店の女には通じていなかった。声をかけた時にはおしぼりとお茶を取りに奥へ引き返したところだったのだ。「アナタ、ナニシマスカ?」とメニューをテーブルに置きながら女が聞いた。「少し考えるから」と女を下がらせてメニューを開いた。ソーメンがいくら位しているのか見ておかなければならない。目指すソーメンは2つ折のメニューの右ページ、上から4番目にあった。値段は日本円表示だった。
¥1,000とあった。
「お前、カネ持ってるよな」と友人は私に聞いた。「持ってはいるけどこれしかないぞ」とポケットの中から全財産を取り出した。数えてみると11,500ルピアあった。

日本円にして300円程度である。「お前は?」と友人に聞いた。「オレは1円も持ってないんだ」。ということは、何も注文しないでこのまま帰るしかない、ということになる。目の前が暗くなると同時に私はちょっとキレた。「お前がソーメン食いたいとゆーたんやんけ!カネ持ってないってどういうことや!」「悪かったな、お前が持ってると思うたんや」などと言い合いながら席を立とうとした時、「ちょっと待て!」と友人が言った。そしてジーパンの前ポケットから1枚の5,000円札を出したのだ。「すまん、今朝出かけに嫁さんが念のためと言って入れてくれたのを忘れとったんや」。よっしゃーっ!と私は心で叫んだ。これでソーメンが食える!今泣いた子供がすぐ笑うがごとく、大声で店員を呼んで「ソーメン、2つ」と注文をした。

まず出てきたのは冷たい麦茶とかつおの佃煮だった。バリ料理にも多少飽き始めていた二人にとってその佃煮はまさに絶品であった。「やっぱり和食やなぁ」と言いながらしみじみと味わった。麦茶もこの上なく美味しかった。思えばここに至るまでの状況が、二人の味覚をある意味研ぎ澄ませていたのだろう。腕のある和食料理人がつくったはずもない佃煮に涙が出るほど感動した。そしていよいよソーメンが出てきた。氷の中に浮かぶガラス器に入った、以外におしゃれな盛り付けだ。思い描いた通りのかつお出しを効かせた麺つゆにつけてソーメンを口に入れた瞬間、その日一日の疲れがすっ飛んで行くようだった。「あー、うまいなぁ」と友人がつぶやいた。私はうなずきながら、生きる力がふつふつと湧いてくるのを感じていた。

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