伊丹を発って12時間以上が経過していたことになる。今にして思えば、バリは遙か彼方の場所だったのだ。

もうずいぶんと前のことになるが、初めてバリを訪れたとき滞在したのがサヌールだった。旅行代理店に勤めるバリ通の友人に奨められて、サヌールビーチ・ホテルをとることにした。サヌールに決めたのは「日本人客が少ない」という一言だった。その頃は関空もなく、伊丹からの直行便もなかった。キャセイで香港まで行き、そこで乗り換えるのだ。香港でのトランジットは3時間余りあったように思うが、乗り換えを間違えないようにすることに必死で、この旅で初めて聞いた「デンパサール」を聞き逃さないようロバの耳にしていたから、3時間はあっという間だった。

香港からバリのデンパサール空港まで6時間もかかった。私の地理感が間違っているのか、香港からのガルーダ・インドネシアの飛行機がポンコツ過ぎるのか、はたまた風向きが悪いのか、とにかく、飛行機は延々と飛び続けたのだ。乗り換えたそのデンパサール行きは空席が目立った。というか、ガラガラだった。空いてる座席で横になれると知ったのは、この時からだ。バリに着いたのは日も暮れ始める頃だった。伊丹を発って12時間以上が経過していたことになる。今にして思えば、バリは遙か彼方の場所だったのだ。

香港からバリのデンパサール空港まで6時間もかかった。私の地理感が間違っているのか、香港からのガルーダ・インドネシアの飛行機がポンコツ過ぎるのか、はたまた風向きが悪いのか、とにかく、飛行機は延々と飛び続けたのだ。乗り換えたそのデンパサール行きは空席が目立った。というか、ガラガラだった。空いてる座席で横になれると知ったのは、この時からだ。バリに着いたのは日も暮れ始める頃だった。伊丹を発って12時間以上が経過していたことになる。今にして思えば、バリは遙か彼方の場所だったのだ。

ホテルの前で客待ちをしているタクシーを呼んでもらって、喜多さんの店に向かった。思ったよりも近かったが、チップも入れて千円相当のルピアを運転手に渡した。預かっていたお土産を喜多さんに渡して、晩ご飯を食べることにした。何かサービスがあるのかと少し期待したが、何もなかった。味はまずまずだった。2千円くらいを支払った。店を出ると先ほどのタクシーが待っていた。帰りは歩いて帰るつもりだったから、タクシーはいらないと言ったが、半ば強引に乗せられてしまった。また千円払わなくちゃいけないのかと心配してたら、帰りの車代はいらないと言う。あっ、往復で千円だったのだ。

バリのタクシーって安いものらしい。次の朝、サヌールの町を散策に出かけようとホテルの前庭に出ると、夕べの運転手が転がるように駆け寄ってきて「セラマト・パギッ!」と言った。満面の笑みでの朝の挨拶だ。そして「タクシー?」。「ノー、サンキュー」と断った。次の日も、そして次の日も運転手は私を見つけるといつもの笑顔を満面にたたえて「タクシー?」と聞いてきた。なんて仕事熱心な男なんだろう。
3日目になってデンパサールへ行くことにした。バリの人々の暮らしを間近で見たかったから、レンタサイクルで行くことにした。半日借りて200円だった。途中で水を買った。

20円くらいだった。デンパサールでは食堂でお昼をとった。100円しなかったように思う。後日、現地旅行者のガイドに聞いたところ、バリでの平均月収は4千円程度らしい。そうだったのか、あの距離で千円を払った私はさぞや金離れのいい観光客に見えたに違いない。急速に増えつつある「おいしいニッポンジン」のサンプルとして、きっと私は正しいルピアの使い方を実践したのだと分かった。

TATSUYA KYOSAKI PRESENTS

Prev.

Next

Copyright(c)2010 TATSUYA KYOSAKI
Produced by BASIC INC. All rights reserved