「珠玉」という言葉の意味をどう捉えるかは人それぞれであろう。今回の珠玉の意味は、このCDアルバムの音楽的に、或いはデザイン的にということではないことを、ひと言添えておく。
この珠玉の一作の主人公は「平田喜一郎」という男である。高校の同級生であり、それ以来の長年の友人だ。脇役として和泉康弘・門出一政・北野邦夫・田中学・中原(旧姓・前末)伸幸、それに私がいる。
珠玉の一作の第一章は、2008年8月15日に始まった。それは平田喜一郎の初盆の集まりの席だった。病院のベッドで走り書きした喜一郎の詩に曲をつけて、残された奥さんに贈りたいと和泉が言い出したのだ。詩の内容は妻に捧げる感謝の言葉だった。

30年以上前、和泉・田中・北野は、音楽好きの喜一郎に引っ張り込まれるようにバンドを結成し、喜一郎が大学を卒業するまでの3年程度活動していた。主に作詞は喜一郎が担当し、曲作りは和泉と田中が担っていた。その頃に喜一郎が作った詩が、曲をつけられないまま残っていたこともあって、この世に一枚きりの追悼アルバムを作って、奥さんに贈ろうということになった。ギターのできる門出は演奏に参加することとなり、楽器も扱えず歌も歌えない前末と私はアルバム作りを担うことになった。完成目標は1年後とした。
1年が過ぎようとした頃、喜一郎の詩につけた曲が一応の完成をみた。和泉をはじめ、北野も門出も30年ぶりの演奏に、想像以上の苦労をさせられていた。まったく指が動かない。さらには、田中が東京に住んでいるため、一堂に会しての演奏収録はあきらめざるを得なかった。和泉は演奏の苦労もさることながら、録音方法でも模索することとなった。録音スタジオなどあるはずもない田舎町で、どうやって録音すればいいんだ?最初はラジカセにでも録音するつもりだったが、そんな音源でCDを作るのはマズイと思った。で、熟慮の末、高価ではないが録音機器を購入した。北野と門出の涙ぐましい努力と、今回のプロデューサー役でもある和泉の叱咤激励、初めて体験する録音の苦労を乗り越えて、何とか音源としての格好がついた。田中からは、バンドでやってた頃の思い出の曲を再録音したものが送られてきた。そして、ついに全6曲の喜一郎追悼アルバムの音源が完成した。
最終章はジャケット作りだった。タイトルは前末と門出が相談をして決めた。筆文字も前末が書いた。素晴らしい言葉だし、味のある書だった。写真は、前末と門出に家捜しをお願いして何とか手に入れた。手ぶれしていて色褪せてもいたが、二十歳の頃の懐かしい姿がそこにあった。全体の流れと文章は和泉が構想し、喜一郎への想いを綴った文章を心を込めて書いた。
亡き平田喜一郎に捧げるアルバム「楽友」は完成の運びとなった。当初一枚だけのはずが、せっかくなので全員が一枚ずつ、或いは喜一郎をよく知る友人にも配ることになった。都合15枚の「平田喜一郎」追悼アルバムが誕生した。

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