私の生まれ育った大朝という町に、いつの頃からか画家とか陶芸家が住み着いて作品を作るようになった。町の景観がいいとか良い土が獲れるとか、そういう理由ではないと思う。のんびりとした田舎暮らしにあこがれた芸術家たちが、たまたま廃校になった小学校の校舎をアトリエとして使えたからだと聞いたことがある。それはともかく、画家や陶芸家の活動は、いつしか町に認められこととなり、芸術の町「大朝」は、近隣ではみんなが知るところとなりつつあった。

私が生まれるずっと以前から、大朝には伝統的な「春祭り」があって、数多くの人が集まる町内最大のイベントだった。その春祭りも田舎町衰退の例に漏れず、年々規模は縮小され、やがて「芸術の町」というイメージにすがりつくこととなった。確かに町では絵画教室や陶芸教室が盛んに行われ、町民芸術祭としての出品数は十分であったように思う。優れた作品が揃っていたかは別として…。
春祭りの期間中、田舎町の目抜き通りに建つ生家では、店舗跡のスペースをある画家のギャラリーとして使うこととなった。大朝では名の通った絵描きさんらしい。画家は画料やイーゼルなどを持ち込んで、描きかけの作品に向かってポーズをとった。町の広報の女性がカメラを向けていた。絵画教室の生徒や見物客に画材の説明をしたり、スペインの街角を描いた水彩画の前で、自慢の入った思い出話を語っていた。
生家の前の、以前は家具屋だった店舗跡が、芸術館として常設的なギャラリーになっていた。そこに、この魚の陶器が飾ってあった。これは花器として作られている。背面に四角い穴が開けられていて、そこに花を差すようになっている。値札がついていなかったので、係りの人が作家を呼んできてくれた。値段をたずねると、少し考えて「6000円です」と答えた。高いのか安いのかよく分からなかったが、大朝で気に入った買い物をしたのは、小学校の時のプラモデル以来だ。良い買い物をしたと思っている。若い陶芸家はどこからか段ボールの箱を持ってきて、新聞紙で何重にもくるんだ作品をていねいに梱包してくれた。

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