ナマステ/ネパール顛末記

まさかの出来事、凍えそうな夜の底で停電に襲われる。

事件は夜明け前に起きた。トイレに起きた妻が「電気がつかない」と騒ぎ始めた。「そんなアホな」と思いながらベッドを抜け出して暗闇の中をバスルームに向かった。確かにスイッチを入れても明かりはつかない。ホテル全体の停電なのか我々の部屋だけなのかを確かめたくて外に出てみたところ、案の定、隣りのコテージには明かりがついていた。停電なのは我々のコテージだけだった。フロントに電話しようにも部屋には電話は無く、着替えようにも真っ暗闇ではどうしようもなかった。ところが、こんなことを想定していたかどうかは分からないが、妻が懐中電灯を持ってきていた。さすがしっかり者(!?)の妻である。とにかく懐中電灯の明かりで小用を済ませ服を着た。

辺りが少し明るくなるのを待ってフロントのある建物まで行き、起きたばかりのスタッフに、片言の英語と身振り手振りで、電気がつかないんだと説明すると、顔色ひとつ変えることなく「すぐ、つけるようにするから部屋で待っててくれ」という。あきらかにその目は「またか!」の表情だった。ここでは停電など珍しいことではないのだ。
ハッチバン・リゾートは1日以上の滞在には応えられないように出来ている(に違いない)。夜はひどく寒いが、暖房設備が貧弱だ。ホテルスタッフが湯たんぽをベッドに仕込んでくれるのはうれしいが、朝まで温もりは持続しない。そんな冷えた部屋にはバスタブもない。

ちょろちょろとお湯の出るシャワーだけで、タイル張りのバスルームは裸足の足には氷のように冷たい。冷蔵庫もないし、電話もない。そして挙句が停電である。この自然重視で非文明的こそがリゾートなんだろう。我々がこれまで体験してきたリゾートとは明らかに一線を画している。恵まれた自然環境とロケーションは何物にも代えられないのだ。何しろヒマラヤが見えるのだから。
停電のせいで夜明け前から起きたこともあって、ヒマラヤを赤く染め上げながら昇る朝日を撮るには十分な時間を得ることができた。この撮影のためにだけ用意した三脚にカメラを着けて適当な場所を探した。下界は深い霧で覆われ、キルティプルのような小高い丘だけが霧の海に浮かんでいる。雲は厚く、今日もヒマラヤは見えない。もっと陽が高くなればすっきりとヒマラヤの峰々が見えるに違いない…。の期待もむなしく、結局太陽は雲の向こうに隠れて、日の出の写真は撮れなかった。

朝食の後、デブさんの提案もあって、少し高いところまでハイキングすることになった。そのほうがよりはっきりヒマラヤが見えるはずなのだ。何年ぶりの山歩きだろう。空は青く陽射しは強いのにヒマラヤ辺りは霞んだままで何も見えない。息が切れ始める。足元もおぼつかなくなる。ヒマラヤはまだか? デブさんが設定した目的地点にたどり着く頃になって、ランタンとガネッシュがかろうじて見えた。雪に覆われた山頂が雲のように空に浮かんでいた。日本では雲が浮かんでいる高さに、ヒマラヤの山々が見えるのだ。ちょっと感動した。もっとはっきり見えたら、かなり感動しただろう。それにしても、息が切れて空気がおいしいのかどうかも分からない。ろくにヒマラヤも見えない山頂ですることもなく、みんなで写真を撮って、とっとと山を下ることにした。
振り返れば、ハッチバンの思い出は、美しい景色でもなくリゾート気分でもなかった。それは、吉田一郎が覚えようとして覚えられなかった「レッサン・フィリリー」を歌う姿だったような気がする。

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